あとがき

「オランダには何故MRSAはいないのか？」というタイトルは，もちろん逆説である．オランダにだってMRSAはいる．

それは，オランダでのMRSAは少ないけど，ゼロじゃない，という揚げ足取り的な意味で，逆説なのではない．オランダには，MRSAはありありなのだ．オランダ人の感染管理者の心の中には，常にMRSAが大きな位置を占めている．MRSAがたくさんいる日本よりも，心をMRSAに砕いている．そういう意味で，逆説なのである．そして，「オランダには何故MRSAはいないのか？」というタイトルの本書は，もちろん，「日本やアメリカは何故MRSAだらけなのか」という問いに対する僕が見いだした1つの答えでもある．本書は，そのために日本にある「既存のモノ」に対して批判の矢を向けた本でもある．愉快に思わなかった輩がいるであろうことも覚悟している．憎たらしかったら，後ろから背中を刺してくれてもかまわない．かまわないから，自らを現状維持の重力から解き放し，変わってほしい．自分自身は，自分自身の意志によってしか変わることは出来ないのだから．日本にとって，日本の国民や患者にとって，今大事なこと，10年後にも大事なことは何なのか，本気で考えてほしい．そこまでやっていただけたら，本望です．後ろからブスリとどうぞ．

ヨハン・クライフは，1対0で勝つよりも，3対4で負ける方がマシだと思っていた．もちろん，4対3で勝つ方がずっといいと思っていた．「美しく闘い，そして勝つ」のが彼の流儀である．私も，それに倣いたい．常に挑戦者でありたい．どんなに歳を取っても，世の中を理解したふりをして賢者のしたり顔でふんぞり返るような真似だけはしたくない．他人の批判には謙虚でありたいが，現状維持の重力に引きずられた人々の住む墓地の住人にはなりたくない．クライフが活躍した時代，彼が試みた改革は，たくさんの人からあれやこれやと批判されたが，その批判者達の名前を覚えているものは，今いない．当時の映像を「現在の目」で見てもクライフは驚くべきことに未だにモダンであるし，革新的，革命的に見える．

本書はオランダという国を訪問した短い旅の記録，エッセイに過ぎない．僕は熱心なオランダ・ウオッチャーではないし，長年をオランダという国に費やした研究者でもない．それでも，この短い旅で僕が得た刺激は大きく，このような文章をまとめる動機づけには十分であった．執筆には数日の睡眠不足をあてるだけでよかった．それくらい，一気に書き上げた本である．10年たったら，僕はそのナイーブな感性や文章に顔を赤らめているかもしれない．けれども，10年たったら今の文章は書けないだろうし，対象としている読者も10年後の読者ではない．あるいは，10年後の読者はなんて退屈で常識的なことを書いている，と思うかもしれない．

もちろん，僕自身は今のことしか考えていない．「10年後にはあなたは何をやっていますか」．面接の時に頻用されるこんな質問くらい陳腐な存在は，そう思いつかない．

本書の作成にあたり，オランダツアーでお世話になったHAICS研究会の大久保和夫さんに心から感謝します．同様に，ツアーの準備や情報提供をしてくださったHAICS研究会事務局の浅野節子さんに感謝します．ツアー中，常に積極的で明るく，感染管理上も新しい示唆を与え続けてくださった順天堂大学の網中眞由美さん，ひたむきながんばりと良い夫婦仲がとても印象的だった松永夫妻に感謝します．表紙にMRSAのカットをご提供いただいた『もやしもん』の石川雅之先生に感謝します．編集で面倒な写真の整理からレイアウト，表紙のデザインに至るまでわがままを聞いていただいた中外医学社の岩松宏典氏に感謝します．ツアー中，留守の亀田を支えてくれた細川直登先生と総合診療・感染症科の皆さんに感謝します．そして，道中鬼籍に入った患者のNさんのご冥福を心からお祈りします．留守中，といえば不在勝ちの亭主の留守を守ってくれた妻の葉子，娘の葉奈子と，最近お腹周りが気になるミニチュアダックスのショコラに感謝します．

最後に，ライデン大学のテア・ダーハさんとそのご主人，今回のツアーで出会ったすべてのオランダの人々，そして僕に刺激を与え続けてくれたオランダという国に心から感謝します．また行きますから．

2008年 2月2日
街唯一の風車をこなたに，美しい太平洋の海面をかなたに望む自宅にて